その昔、チョコレートはラテン語で神様の食べ物という意味の"テオブロマカカオ"と呼ばれていた。
古代アステカの人々は、全能の神と伝えられていた"ケツァルコアトル"の存在を信じてられており、カカオは、その蛇神ケツァルコアトルが「人類に英知と力を与え、病を癒す為」に授けてくれた大切な食べ物として扱われていた。
フェルナンド・コルテスがスペインの遠征軍を率いてアステカ帝国に上陸した時、アステカ帝国の王モンテズマはコルテスをアステカの神ケツァルコアトルだと思い込み、神の食べ物「テオブロマカカオ」を振舞ったと伝えられている。
こうしてカカオはコルテスにより1528年にヨーロッパに持ち込まれ、苦いだけの飲み物だったカカオ飲料に、黒胡椒、牛乳やワインなどを加えることで、ヨーロッパの貴族に人気の飲み物となってゆく。
1802年には、スイスのフランソワ・ルイ・カイエがココアと砂糖で、木片のようなお菓子を作ったのが、初めての固形チョコレートといわれている。
1829年に、同じくスイスのダニエル・ ピーター・ケラーが、チョコレートにミルクを加え、ミルクチョコレートの制作に成功。その後、ピーターの友人でネスレ社創立者アンリ・ネスレが「粉ミルク」を開発した事で、ミルクが含まれた今日のチョコレートを成形することが可能になった。
その後、ルドルフ・リンツがチョコレートの砂糖を粉砕するコンチという機械を発明し、より滑らかなチョコレートが生まれる。
このようにチョコレート製造は19世紀、スイスで飛躍的な成長を遂げ、世界で消費されるチョコレートのほとんどがスイスで作られるようになってゆく
ブロンデルの創業者、エドリアン ブロンデルは、フランソワ・ルイ・カイエとダニエル・ ピーター・ケラーからチョコレートの製法を学び1850年、ローザンヌにショコラティエ・ブロンデルを開店する。
以来ブロンデルは160年前と同じ場所、同じレシピで、チョコレートを作り続け、現代にあって最も純粋で正統派のチョコレートとも言える。
ブロンデルのチョコレートは、一口食べてみると、その口溶けのまろやかさに驚かされる。それは、どこか懐かしい柔らかな美味しさを醸し出しているからでしょうか。
創業以来守り続けられている手作りの製法は、ブロンデルを支えてきたのは"職人の手"ともいえる。
昨今のテクノロジーの進化とは逆行する"心のこもった工程"、多大な時間を要する職人技を駆使してすべてのショコラは160年前と変わらぬ製法で作られている。
マスターショコラティエのバスチャン・ティボーは、ショコラを"Mati?re vivant"=生きた素材とさえ言い、手作りだからこそ体感できるチョコレートの状態をその日のコンディションにあわせて調整しながらつくるという。
そして素材の味わいが最大限に生かせる分量やチョコレートの厚みを考えながらハンマーチョコレートを広げ、大理石の冷たさを利用して固める。
その繰り返された歴史の中で生み出される優しい美味しさを楽しみたい。